[写真:1983年]

1983年頃のライブ。木盤を出す前でいわゆるハードコアパンク
この頃はまだ他のハードコアパンクバンドとのギグ(当時合同ライブをこのように呼んでいたが、そういや今では聞かないな。死語か?)を行っていた。ライブハウスの他は、実は当時のアンダーグラウンド音楽シーンは、法政大学や和光大学など大学ホールでのライブが多かった。しかし、この1年後くらいには基本的にはあぶらだこはパンク路線から離れ、ライブもほぼ単独となる。

あぶらだこ全作品は「SCUM MUSIC - あぶらだこ」にあります。


[プロフィール]

結成は1983年前後。当時のハードコアパンクムーブメントに乗って登場した。実質的なレコードデビューは84年の通称「ADK-12インチ」(その前の1983年にソノシートも出している)。ホワイトウルフに象徴されるハードコアパンクの最高峰バンドとしての人気を独占したと同時に、実はこれが彼らの最後のパンクアルバムだった。このアルバムを発表した後に、ドラムのマルが脱退し、マルはラフィンノーズに移籍する。
思えば、このこと自体が、後のあぶらだこ、そして、ラフィンノーズの進んだ道を如実に表しているような気もしないでもない。

あぶらだこは、マル脱退の1年後に徳間ジャパンから通称「木盤」でメジャーデビュー。その類似するもののない特異な音楽性は、日本のオルタネイティブ、バンクシーンがネクストステージに入ったことを示唆するかのような衝撃的な一枚だった。その後、アルバムを重ねていくうちに彼ら(というよりヒロトモ)の求める音楽性はどんどんと変幻していき、プログレとも言うべき面妖な音楽を発し続けている。

2007年現在、現役で活動している。

あぶらだこオフィシャルサイト
http://members.jcom.home.ne.jp/neconeco/abura.html


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▼1983年頃のテレビ番組。「ADK-12インチ」の後。






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あぶらだこ(2)

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