2007-01-01から1年間の記事一覧

フリクション

▲ ファーストアルバム「軋轢」を発表した1980年前後のReckReck(Vo,Bass)とドラムのチコ・ヒゲを中心に1979年頃に結成。日本を代表するパンクバンド(当時の言い方だと)として、日本の音楽界に燦然と輝く。数多くのライブ盤やシングルを出しているが、スタ…

読みは「フュー」。Aunt SallyのボーカルだったPhewのソロ活動ネーム。 80年に、坂本龍一とのコラボ「終曲」を発表。そのためか、一般にはAunt Sally時代よりも認知度は上がったと思われる。 坂本龍一の演奏もPhewの個性を損なうことなく、良かった。しかし…

※ Les Rallizes Denudesという表記が正式なようだが、馴染まないので「裸のラリーズ」で統一する。 80年代の時点で裸のラリーズはすでに伝説と化していた感があるが、まだ精力的にライブをやってもいた。1967年に同志社大学の学生だった水谷孝を中心に結成。…

▲1980年にテレビ番組に出演した時のもの。曲はデビューシングル「20世紀の終わりに」。1977年に東京キットブラザーズ出身で、劇団を主宰していた巻上公一を中心に結成。 吉祥寺のライブハウスなどでライブ活動を開始した後、その音楽が近田春男の目に止まり…

ボーカルの平沢進を中心に前身のバンド「マンドレイク」を経て、1979年に結成。 ヴァン・ヘイレンの来日コンサートの前座を務めてから、当時としては特異な音楽性と奇抜なコスチュームでの演奏を続けて、ロックファンの間でその評判は一気に高まる。このヴァ…

JOJO広重を中心に1980年に結成されたノイズユニット。「非常階段」という同一メンバーによる固定ユニットがあるというわけではなく、JOJO広重以外のメンバーは流動的。80年代では、舞台での破壊や排泄などを行うというようなギミックを軸にノイズジャンルで…

賀県が生んだ、不思議なバンド。関東圏での活動が多くはなく、私個人はライブは未見である。作品的には少なくともアルケミーレコードから4枚程度のレコードとソノシートを出している。私が実際に聴いたのは4枚目の「ゴースンの一生」だけだが、非常にコン…

ここでいうハナタラシは80年代中期の山塚アイの初期活動母体としてのハナタラシを指す。山塚アイが大阪でホストなどのバイトをしながら、それでも音楽活動への情熱を息途切れさせなかった、荒くも生々しい山塚アイそのものの歴史の始まりである。当時のハナ…

▲これはデビューシングルの表ジャケット。(ホワイトマン/変なパーマネント)当時のニューウェイブ、パンクユニットの中で、ルックス的にここまで強烈に格好良くなかったバンドは多分なかっただろう。 しかし、音楽的にはすでに独自のロック概念を持ってお…

▲1998 年にアメリカの「 Viva Variety」(ビバ・バラエティ)に出演した際の少年ナイフ(この番組にはCibo Mattoなども出ていたはずだ)。もともとは1981年に学生時代の同級生のOL3人により結成された「女の子バンド」であった。活動拠点は大阪で、かげろ…

ゼルダ

インディーズバンドというのには語弊があるが、ファーストアルバムのプロデューサーがリザードのモモヨだったというあたりに、その所以がある。モモヨのバックアップで東京ロッカーズのアイドル的な存在となり、また、インディーズ界の寵児ともなった後は、…

▲徳間からのアルバム「STOP JAP!」のアレルギーのビデオクリップより。このアルバムの一連のPVの監督は石井聰亙。 日本のパンクロック史上、もっともギミック的な商業手法が成功したユニットだったかもしれない。リーダーはボーカルの遠藤ミチロウで、秋田大…

▲GISMの横山SAKEVIとじゃがたらのアケミが共演した1982年のライブより デビューしたのは70年代の終わりだろうか。東京を中心に活動していたが、初期の頃は音楽を中心にしたバンドではなく、リーダーのアケミのパフォーマンスが売りだった。それこそ、後のハ…

作レーベル、フロアレコードからアルバムデビューした女性4人(当時)によるユニット。何とも不思議なアバンギャルドポップの魅力は、さすが突然段ボールファミリー、と感心したものだった。ファーストアルバムは1982年の「サボテン」だが、一般ロックファ…

▲ Vocalの故マサミ氏。写真は1983年。80年代当時の日本のハードコアパンクシーンは他のジャンルとの共存をほぼ拒み、閉鎖的ともいえる独自の世界の中にいた。ギズム、ガーゼ、ローズローズな ど数多くのパンクバンドたちが同じようなカテゴリーの中で活動を…

▲1983年/Live in 日比谷野音1980年に、その後、フリクション、突然段ボールなどを輩出するPASSレコードからアルバム「GUNJOGACRAYON」をリリース。「群青色のクレヨン」とも読めるノスタルジックな響きとは正反対にドロドロの音楽性を見せていたバンドだ。一…

[プロフィール]70年代より音楽活動を始める。A-MUSIK、コクシネル、Che-SHIZUなど多数のバンドにピアノなどで参加する一方で、荻窪グッドマンで即興主体の音楽活動を長く続けている。彼の、自主制作音楽としての音楽界に歴史を残すアルバムが、1981年に、N…

[コクシネル COCKC'NELL]

▲1983年の音楽イベント「天国注射の昼」時のライブ写真。[プロフィール]1980年に吉祥寺マイナーにおいてデビューライブ。オリジナルメンバーは、野方攝(Vo)と池田洋一郎(G)を中心として、流動的。山崎春美主宰のイベント「天国注射の昼」への出演、女性…

清涼飲料水のCMに出ていたゲルニカの戸川純と上野耕路。 [プロフィール] 8 1/2(はっかにぶんのいち)での活動の後、ハルメンズに参加していた上野耕路が、当時はまだ無名の少女だった戸川純と組んだユニット。1985年に細野春臣が主宰するYENレコードより…

▲1983年 横浜・寿町でのライブ。この時、横山氏はステージ上から観客に投げつけて挑発していた。この大全では日本のハードコアバンクについてあまり挙げていない。理由は私が詳しくないためだが、ギズムに関しては知る知らないは関係なく載せざるを得ないだ…

▲1983年の「天国注射の昼」でトリを努めた際のガーゼ。1981年の新宿キモノマイハウス(このライブハウス自体も1980年代のロックシーンの伝説といえるかもしれない)での「消毒ギグ Vol.1」でのライブでのデビュー以来、一貫して日本のハードコアパンクシーン…

1980年代当時、自主製作レコードのジャケットというのは「とりあえず誰か知り合いに絵が描ける人がいるから書いてもらった」とか、「なんか適当に写真をとったら格好良かったので使った」というような類が多かった。 いや、実際には最もアンダーグラウンドに…

▲写真は1980年代に佐内順一郎とガセネタの山崎春美が責任編集だったサブカル雑誌「HEAVEN」。前身は自販機本「Jam」。 [プロフィール]山咲春美がタコを結成する以前に主宰していたバンド。 というより、山崎春美の個人ユニット名のひとつ。まだ「宝島」が…

▲ TACO/TACO 1981年 ピナコテカレコード [タコ プロフィール] ガセネタの山崎春美が自らを喧伝するユニットの総称として使ったと思われる。 1981年、山崎春美はタコのファーストアルバムとして、東京のライブハウス「吉祥寺マイナー」を経営していた佐藤氏…

マリア023(AUTO-MODのジュネが在籍)のベーシストだったノンが結成した女性一人、男性二人によるユニット。1982年テレグラフからの6曲入りデビュー25cm「Non baNd」を発表。ベースとバイオリンとドラムという、ギター不在の編成とともに展開するNONの奔放な…

正式名は「Deutsch Amerikanische Freundschaft」(ドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフト)。 「D・A・F」はこの略。 左がロベルト・ゲアル・右がガビ・デルガド=ロペス ■1980年初頭のライブの様子などは http://music80.seesaa.net/article/396665…

http://www.youtube.com/watch?v=kHs-6xnMEdE Money (1979/TV Live) Flying Lizards(フライング・リザーズ)は、いかにもユニット名ではあるが、実際には、David Cunningham(デビッド・カニンガム)の一人ユニット。多くの曲に女性ボーカルが入っていて…

1966年にテキサス大学の高さ90メートルのタワーから数種類の銃で狙撃を開始。90分で15人を殺害する(前日殺した妻は数に入れていない)。チャールズ・ホイットマンは射殺され、狙撃の理由はわかっていない。スタンリー・キューブリックの映画「フルメタル・…

ウルトラビデ/ULTRA BIDE 1983年 アルケミー 1978年にボーカルのヒデと、後に非常階段を主宰するJOJO広重を中心に結成されたユニット。非常階段らとともに、関西アンダーグラウンドシーンの頂点に君臨した。ジャンルとしてはノイズ、あるいはジャンルとして…

ナゴムレコードの主宰者ケラのバンド。 ケラ自身は今も音楽もやっているのかもしれないが、「劇団健康」→「ナイロン100℃」の演劇の活動で有名である。ケラの音楽界の功労はやはりナゴムレコードを作ったことに尽きる。ばちかぶり、筋肉少女帯、木魚などを排…