2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

JOJO広重を中心に1980年に結成されたノイズユニット。「非常階段」という同一メンバーによる固定ユニットがあるというわけではなく、JOJO広重以外のメンバーは流動的。80年代では、舞台での破壊や排泄などを行うというようなギミックを軸にノイズジャンルで…

賀県が生んだ、不思議なバンド。関東圏での活動が多くはなく、私個人はライブは未見である。作品的には少なくともアルケミーレコードから4枚程度のレコードとソノシートを出している。私が実際に聴いたのは4枚目の「ゴースンの一生」だけだが、非常にコン…

ここでいうハナタラシは80年代中期の山塚アイの初期活動母体としてのハナタラシを指す。山塚アイが大阪でホストなどのバイトをしながら、それでも音楽活動への情熱を息途切れさせなかった、荒くも生々しい山塚アイそのものの歴史の始まりである。当時のハナ…

▲これはデビューシングルの表ジャケット。(ホワイトマン/変なパーマネント)当時のニューウェイブ、パンクユニットの中で、ルックス的にここまで強烈に格好良くなかったバンドは多分なかっただろう。 しかし、音楽的にはすでに独自のロック概念を持ってお…

▲1998 年にアメリカの「 Viva Variety」(ビバ・バラエティ)に出演した際の少年ナイフ(この番組にはCibo Mattoなども出ていたはずだ)。もともとは1981年に学生時代の同級生のOL3人により結成された「女の子バンド」であった。活動拠点は大阪で、かげろ…

ゼルダ

インディーズバンドというのには語弊があるが、ファーストアルバムのプロデューサーがリザードのモモヨだったというあたりに、その所以がある。モモヨのバックアップで東京ロッカーズのアイドル的な存在となり、また、インディーズ界の寵児ともなった後は、…

▲徳間からのアルバム「STOP JAP!」のアレルギーのビデオクリップより。このアルバムの一連のPVの監督は石井聰亙。 日本のパンクロック史上、もっともギミック的な商業手法が成功したユニットだったかもしれない。リーダーはボーカルの遠藤ミチロウで、秋田大…

▲GISMの横山SAKEVIとじゃがたらのアケミが共演した1982年のライブより デビューしたのは70年代の終わりだろうか。東京を中心に活動していたが、初期の頃は音楽を中心にしたバンドではなく、リーダーのアケミのパフォーマンスが売りだった。それこそ、後のハ…

作レーベル、フロアレコードからアルバムデビューした女性4人(当時)によるユニット。何とも不思議なアバンギャルドポップの魅力は、さすが突然段ボールファミリー、と感心したものだった。ファーストアルバムは1982年の「サボテン」だが、一般ロックファ…

▲ Vocalの故マサミ氏。写真は1983年。80年代当時の日本のハードコアパンクシーンは他のジャンルとの共存をほぼ拒み、閉鎖的ともいえる独自の世界の中にいた。ギズム、ガーゼ、ローズローズな ど数多くのパンクバンドたちが同じようなカテゴリーの中で活動を…