中心人物の故・北村昌士


雑誌「フールズメイト」の初代編集長である北村昌士が84年に結成。北村は、元々プログレ・前衛音楽等の理論的支柱となっていたフールズメイト(今は違う)の中心的な役割を果たした人物である。トランスレコードより数々のレコードを発表すると共に、彼が発掘した才能も多彩で優秀だった(Z.O.A.、アサイラム、イル・ボーン、ボアダムズ etc)。メジャーでは1986年にビクターからアルバム「STARSHIP」をリリースしている。90年に活動停止したが、その後、また活動を再開している。

ちなみに、公式サイトのプロフィールによれば、YBO2の結成のきっかけにはタコの故・篠崎順子(ロリータ順子)の介在の影響があったとしている。当時のアンダーグラウンド音楽界の横のつながりはいろいろな意味で興味深い。


[追記]
北村昌士氏は2006年6月に肺疾患で亡くなった。享年は多分49歳。

公式サイト:
http://www.ocv.ne.jp/~sse/





[個人的回想]1982年だったか、元スロッビング・グリッスルジェネシス・P・オリッジがサイキックTVとして来日したことがあった。東京・中野の中野公会堂でライブが行われ、そのサイキックTVのライブ自体はどうということもなかったが、その時の前座にYBO2が出ていた。あぶらだこや非常階段といった面子と一緒だったのだが、その時に北村氏はどう見ても 「単なるパジャマ」を来てステージに立っていた。

あれが衣装だったのか、精神的にキツい時だったのかはよくわからない。サザンオールスターズ桑田佳祐氏がデビュー曲の「勝手にシンドバッド」の後に曲を作れずに精神的に追いつめられ、テレビの歌番組にパジャマ姿で出てきて「桑田佳祐はおかしくなった」と言われていたことがあった。人は精神的に追いつめられると、パジャマで外出するようになるのだろうか。(んなこたないか)