▲ TACO/TACO 1981年 ピナコテカレコード



[タコ プロフィール]


ガセネタの山崎春美が自らを喧伝するユニットの総称として使ったと思われる。
1981年、山崎春美はタコのファーストアルバムとして、東京のライブハウス「吉祥寺マイナー」を経営していた佐藤氏が設立した自主制作レコードレーベル・ピナコテカレコードから「タコ」をリリースする。これがタコの活動で最大のイベントでもあり、また山崎春美というよりも、タコという名前のユニットが行った自主制作界の事件であった。内容的には、山崎春美大里俊晴佐藤薫野々村文宏の4人による即興ファンク演奏にゲストミュージシャンが参加するという形だったが、そのゲス トが、スターリン町田町蔵坂本龍一など当時の人気ミュージシャンたちで、その話題性もあり、自主制作レコード界での驚異的ヒットを記録する。

レコードジャケットは花輪和一合田佐和子が担当し、トータルアートとしての注目度も大きかった。タコはその後、ライブ盤等の何枚かのレコードをリリースするが、ファーストアルバムのインパクトに勝るものは出なかったようだ。タコの音楽性の本質としては、ファーストの後に出した霜田恵美子ジャケットのライブ盤の方が実態に近いと思われる。また、これはユニット「EP-4」そのものとも言えそうだ。その後は、山崎春美と共に活動していたロリータ順子の死亡という話もあったりと、暗いニュースが続き、タコの名前は聞かなくなってしまった。それでも、タコの名のもとに出したファーストアルバムの功績だけでも語り続けられる意味はある。

タコのヒットはピナコテカレコードの知名度アップに貢献したが、しかし、このアルバムに収められた「きらら」という町田町蔵がボーカルを務めた曲が、ある団体の目に止まり、弾劾された事件が あった(その曲は確かに差別用語が普通に使われている歌ではある)。この問題は最終的には、ピナコテカレコードの自主制作市場からの撤退ということに至ったと記憶している。このアルバムがヒットせずに世間に認知されることがなければこんな問題は起こらなかったかもしれないということを考えると、皮肉な話にも思える。


[個人的記憶]

タコのファーストアルバムか出た時は私の場合は当時まだ北海道の高校生で、地元で購入する手段はなかった。結局、通販でピナコテカレコードから直接買った。通販の広告は主に自主流通系の雑誌によく載せられており、今では違和感がある話だが、椎名誠絡みの「本の雑誌」や「宝島」などに自主製作レコードの広告が載せられていた。レコー ドタイトルは「タコ」となっているが、それがコマーシャリズム手法での集合名称だというのは、聞いてわかった。「タコ」というグループの曲はほとんど前面には押し 出されていないのだ。かわりに、町田町蔵坂本龍一、と続く豪華なゲストたちの演奏が続く。

ちなみに、私が山崎春美のライブを実際に見ることができたのは、東京にきて3年目の1985年だったと記憶している。原宿のクロコダイルで「ガセネタ」としてライブを行った。刺激的なライブを期待して行ったが、そういはいかなかった。ガセネタもタコも音楽としての「何か」は後世にはあまり残さなかったかもしれないが、「イベント性としての音楽」は記憶に受け継がれ、それは後のアンダーグラウンド世代に大きく引き継がれた気がしている。



▼「天国注射の昼」より(タコ/きらら Ex.Vo.町田町蔵



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