1979年、バンド「腐れおめこ」の町田町蔵を中心に結成されたパンクバンド。当時、町田は17歳だった。その後、日本のパンクシーンの中での最速の勢いでメジャーデビューを果たした。そのアルバム「メシ喰うな!」は、日本のパンクロックの歴史上に残る名作ともなった。INU名義での公式アルバムはこれだけで、いろいろな意味でこの一枚でINUを語ることは難しい。しかし、INUの本質とは関係なく、このアルバムの異常な完成度はもう少し後に残すべきものだ。



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INU解散後、町田町蔵は数々のユニット名のバンドを作るが、基本的それらはほとんど「町田町蔵バンド」の変名で、どのバンドかどうだというような区分はつきにくい。そういう意味では、グループの一員としての町蔵の正式なバンド活動は「INU」だけだったような気もしなくはない。(本人たちがどう思っているのかは知らない) 町田町蔵はその後も長くアンダーグラウンドロック界のアイドル的存在だった。インディーズやアンダーグラウンドの音楽イベントに町田町蔵が出演しないことはないような感じさえあった。また、町田町蔵自身も様々な音楽イベント(すべてアンダーグラウンドだ)に出演しまくった。


また、演劇公演に役者として参加したり、映画にいくつか出演している。
映画での印象的な演技としては、 石井聰亙監督の「爆裂都市」[解説がこちらにあります]山本政志監督の「ロビンソンの庭」などがある。


女性のパンクバンドベーシストを日本で最初に具現化したのもINUだった。ベースの西川成子はそれはそれはかっこよかった。まるで表情を持たないかのような面持ちで淡々とベースを弾き続ける、その姿勢。後に多くのパンクバンドの女性たちが踏襲した「ライブでの無表情と無感動」を最初にステージ上で表現したのが彼女だった。

今、彼女はどうしているのだろう、と何となく思ったりする。新興宗教に入ったというような噂もあったし、音楽活動もやっているのかもしれないという話もあったり。でも、結局、今となってはどうにもわかる術がない。しかし、新興宗教にハマッてそれを一生懸命に全うする彼女の姿もそれはそれで想像できる。
救いを求める人は一生を通じて救いを求めるものなのだ。それが音楽か宗教かというのはさほど大きさ差はない。このことを全然感じない人間というのは鈍感と言われても仕方ないが、そういう人はそもそも80年代インディーズなどには興味のない人ではあるかもしれない。


[個人的回想]

あれは1986年前後だったかもっと前だったか、法政大学の学館大ホールでの合同ライブ(当時はギグと呼ばれてもいた)を、私は観客として見に行っていた。その時、出演前か後の町田町蔵がフロアの階段のところで、法政大学の学生たちに紛れて、階段にボーッと座っていた。
私が通った時に、彼はこちらを向いてニカーと笑ってきた。何だかよくわからないが、私も微笑みを返した。その時、ついでだから、訊いてみたかったことをいくつか訊いたような気がするが、内容は覚えていない。

当時はどんな合同ライブに行っても、町田町蔵の姿を見かけたが、何だかいつも一人だった印象がある。プライベートのことはよく知らないが、その「孤独が似合う人」だった。



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メシ喰うな

メシ喰うな